2019年09月02日

待つことは信じること

子育てにおいて待つこと。
時間との戦い?
いいえ、違います。

過干渉と無関心。
正反対のようでどちらも同じ。

適度な距離。
自身の身体を分けて生んだといっても、子供には自我もあり、私ではないのです。
思い通りにならなくて当たり前。
子供への過度な期待は、子供への依存となっています。

冒頭の待つことはまさしく子供の自我を育て、また親自身も子供への依存から解き放されるチャンスです。

歩き始めの一歳。
お散歩に靴を履かせます。
お外の楽しさを覚えた子は自ら靴を履いて遊びに行こうとします。

そんなとき、靴を履かせていては自分で履けるようにはなりませんよね?

応援しながら、上手にできたとき誉めてあげたあの瞬間。
親子でとっても嬉しかった記憶ありませんか?

あれこそが待つこと。

待つことは、放っておくこととも、子供自身が自らやろうとするとこに横から手を出してしまうこととも違う。

お互いが嬉しくなるあの瞬間を共有すること。
そして信じること。

昨日の文末にも書きましたが、忙しくて待っていられないわという方こそ、待てるようになると楽になります。

相手はもう一歳児とは違うのです。

横にぴったりついていて応援してあげなくても、子供の持つ力を信じてあげてください。
子供は時間をかけても壁を乗り越える。
できたとき喜びを共有してください。

これなら忙しくてもできませんか?

待つこととは、喜びを共有し、子供の力を信じてあげることなのです。

どうしても乗り越えられなそうな時はヒントを与える。
それでもダメならひとつ前に戻ってみる。

これも放っておいたり過干渉になっていては、子供の欲するものを見つけることはできないので与えることができません。

私たち大人も大きな壁を突きつけられたら、ます壁を見て上るのやめてしまいますよね?

まずは与えられた小さな壁を一つずつ乗り越えるのを待ってみましょう。

壁が大きくなっても、小さな壁を乗り越えたパワーは、親が待ってくれているという安心感を子供に与え、きっと乗り越えていくことでしょう。

私の英語教室はそんな待つことを大切に考えて教育しています。




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Posted by ひとみん at 09:09│Comments(0)ひとみんの心情
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待つことは信じること
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